はじめに

第1回では「AIとは何か」を整理し、第2回ではチューリングの問いとダートマス会議という出発点を見てきました。1950〜70年代の研究者たちは「人間の知能は数十年で再現できる」と信じ、次々とシステムを生み出しました。これらは社会に強いインパクトを与え、「AIが人類を超えるのも時間の問題だ」との期待を呼びました。

しかし現実はそう単純ではありませんでした。本稿では、当時の具体的な成功例を振り返り、そこからどのように失望と停滞、いわゆる「AIの冬」へと至ったのかをたどります。

1. 初期の成功例 ― 何が「できた」のか

1.1 Logic Theorist（定理証明プログラム）

1956年に開発された Logic Theorist は、論理の公理と推論規則を使って新しい定理を証明することに成功しました。『プリンキピア・マテマティカ』の定理の一部を機械が自力で証明し、しかも人間が見つけた証明より短い手順を発見することもありました。「数学的推論」という高度な知的活動を計算で扱えることを示した初めての例でした。

1.2 Georgetown–IBM 実験（機械翻訳）

1954年、IBMとジョージタウン大学はロシア語から英語への翻訳デモを行いました。約250語の語彙と6つの文法規則を使って、60文を翻訳することに成功しました。当時は冷戦の真っ只中で、ロシア語文献を即座に理解できる技術として大きく注目されました。新聞は「翻訳家は不要になる」と報じ、政府も巨額の研究費を投入しました。

1.3 チェスプログラム

チェスやチェックersのプログラムも登場しました。探索木を用いて数手先まで読んでヒューリスティックに評価し、初心者程度の相手には勝てるようになりました。「思考ゲームを機械が指せる」という事実は、人々に「機械も考えている」との印象を与えました。

1.4 ELIZA（人工無脳）

1960年代半ばに開発された ELIZA は、ユーザーの発言を単純に言い換えることで会話を成立させるプログラムでした。
「私は疲れています」
→「なぜ疲れているのですか？」

という応答を返すだけで、人々は「理解している」と錯覚しました。このような「わかったふり」の仕組みは 人工無脳 と呼ばれ、チューリングテストの課題を現実的に示すことになりました。

1.5 MYCIN（感染症治療支援システム）

医療分野でも、画期的なシステムが登場しました。それが1970年代にスタンフォード大学で開発された MYCIN（マイシン） です。

どのようなシステムだったか

MYCINは感染症診療を支援する専門家システムで、患者の症状や検査結果を入力すると、起因菌を推定し、適切な抗菌薬を提案できました。

当時としては革新的だったのは、医師が持つ知識を「もし〜なら〜」という形でルールとして記録し、推論に使えたことです。

ルールの例

もし培養結果がグラム陰性桿菌であり、

かつ患者が免疫抑制状態にあるならば、

緑膿菌である可能性は高い。

症例シナリオ（菌血症の場合）

たとえば、免疫抑制状態にある入院患者で発熱と菌血症が疑われた場合、MYCINは以下のように逐次質問を重ねました。

MYCIN: 患者の年齢と性別は？

医師: 45歳男性です。

MYCIN: 体温は38.5℃以上ですか？

医師: はい、39.2℃です。

MYCIN: 血液培養の結果は？

医師: グラム陰性桿菌が検出されました。

MYCIN: 入院期間は7日以上ですか？

医師: はい、10日目です。

MYCIN: 患者は免疫抑制状態にありますか？

医師: はい、白血病治療中です。

MYCIN: 起因菌の第一候補は緑膿菌（Pseudomonas aeruginosa）です。

このようにMYCINは、臨床情報や検査結果を基に段階的に候補を絞り込み、最終的に微生物を推定することができました。評価実験では、専門医よりは精度が劣るものの、非専門医よりは正確な推論を行えたとされます。医療AIの原点として、今なお語り継がれる存在です。

2. 過剰な期待の背景

AI研究が急速に注目を浴びた背景には、単なる技術的成功以上の要因がありました。

冷戦下の政治的背景：ソ連との技術競争のなかで、アメリカは自然言語翻訳や自動推論に強い関心を持ちました。とくに米国防総省DARPA（当時のARPA）はAI研究に多額の資金を投じ、軍事利用も視野に入れていました。
報道のセンセーショナルさ：Georgetown–IBM 実験の成功は新聞で「翻訳家は不要」と報じられ、人々に過大な期待を抱かせました。
研究者自身の楽観：「数十年以内に人間の知能に到達できる」という予測が学会で堂々と語られ、学生たちもその夢に惹きつけられました。

つまり、技術的成果は限定的だったにもかかわらず、社会的・政治的・心理的な要因が過剰な期待を膨らませたのです。

3. 現実の壁

3.1 計算資源の不足

探索や証明のアルゴリズムは、問題が少し大きくなるだけで計算量が爆発的に増えました。当時の計算機は現在のスマートフォン以下の性能であり、理論的には可能でも現実的な時間で解けない問題が山積みでした。

3.2 翻訳の限界とALPAC報告書

1966年、米国政府が委託した「ALPAC報告書」は、機械翻訳の進展が期待外れであると結論づけました。「人間の翻訳者のほうが速くて安い」と指摘されたことで、米国の機械翻訳研究は一気に冷え込みました。これが第一次AIの冬の直接的な引き金となりました。

3.3 知識獲得のボトルネック

MYCINは革新的でしたが、その裏には膨大な知識をルールとして入力し続ける負担がありました。医師から知識を聞き出し、それを形式化し、検証する作業は膨大でした。しかも新しい耐性菌や薬剤が出るたびにルールを更新する必要がありました。「常識」をどう表現するかという課題も深刻でした。人間なら当然知っている前提を機械に与えることがいかに難しいかが露呈したのです。

4. AIの冬

4.1 第一次AIの冬（1960年代後半〜1970年代）

機械翻訳の失敗を契機に、政府は研究資金を削減しました。
探索や推論のアルゴリズムも現実の問題には適用できず、失望が広がりました。

4.2 第二次AIの冬（1980年代末）

1980年代に商業利用されたエキスパートシステムは、一時的に大企業で導入されました。
しかし知識の更新コストが膨大で、運用が立ち行かなくなり、多くが撤退しました。
この失敗は市場全体の冷え込みを招き、AI研究は再び停滞期に入りました。

5. 医療者にとっての教訓

この歴史は、現代の医療AIにもそのまま当てはまります。

デモの華やかさに惑わされないこと
短い条件での成功は魅力的ですが、外部妥当性や実運用の壁を見極める必要があります。
知識には維持コストがあること
ガイドラインや論文の知見をすべてAIに覚えさせるのは現実的ではなく、更新の手間をどう扱うかが本質的な課題です。
過剰な期待と失望の繰り返しを避けること
「AIで医療が一変する」という幻想に流されず、適切な評価と運用設計を行うことが重要です。

まとめ

1950〜70年代のAIは、Logic Theorist、機械翻訳、チェス、ELIZA、そしてMYCINといった成果を生みました。とくにMYCINは、専門医には及ばないが非専門医よりは正確な診療支援を実現し、医療AIの可能性を世界に示しました。

しかしその一方で、計算資源不足、翻訳の壁、知識獲得のボトルネックといった現実が立ちはだかり、AI研究は二度にわたって「冬の時代」を迎えました。

歴史を知ることは、現代の医療AIを冷静に評価するうえで重要です。次回は「AI・機械学習・深層学習の違い」を整理し、なぜ新しい手法がこの壁を越えることができたのかを見ていきます。